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ぶらり探訪!上越市清里区の魅力を紹介

2021年04月08日 04:43更新

JCVの生活情報番組「すまいるone」。4月4日からの放送は「街の魅力を再発見!清里探訪」。清里区を散歩して、魅力を再発見しちゃいます!※番組はタウン情報のプレミアム会員でもご視聴いただけます。


上越市清里区の魅力を紹介!

上越市清里区は古来から農業が盛んな土地で、歴史文化が多く残されたロマンあふれる地域です。今から5000年前の縄文時代から始まり、多数の古墳が見つかっています。そして学問の神様で有名な菅原神社や、明治の初めに日本で一番石油が出たという石油の産地「玄籐寺石油群」があります。

<菅原古墳群>

今から1500年以上前に、この地域に伝わったとされる稲作文化。水が豊富で、水害も少なかったことから稲作に適した土地として集落が形成され、豪族が生まれました。その後、その権力者たちの墓が造られ、古墳として残っています。

菅原古墳1号

古墳1号

清里区総合事務所の横にある直径16メートル、高さ2.6メートルの菅原古墳群の中でも円墳として一番大きな1号古墳です。

 

菅原古墳16号

16号古墳

そしてこちらが、当時の古墳の石室内部が見学できるよう移設整備された16号古墳です。はるか1500年前の清里の古代を偲び、歴史に親しむ場所として大切に保存されてきました。

菅原神社(外観)

菅原神社

そしてこちら、菅原神社境内には菅原古墳群では唯一の前方後円墳が残されています。

菅原神社(前方後円墳)

前方後円墳 

古墳の大きさは全長30メートル、幅18メートル、高さが3メートル。この古墳が誰のお墓なのかは、わかっていません。説としては、大和朝廷からこの土地の開発におくられてきた皇室に関わりのある人物、またはこの土地の豪族、両方の説があるそうです。こうした謎も古墳の魅力の一つなのかもしれませんね。

 

<油田>

明治初期、清里区は石油の一大産地として日本の近代化の一翼を担ってきた地域です。

油田(明治初期の当時の写真)

明治初期 当時の写真

山の上の油田から、およそ10キロ離れた地点の貯蔵タンクまで石油を運ぶため、日本で初めて石油パイプラインが作られました。

油田発掘場所

油田発掘跡

貯蔵タンクから高田までは、荷車を使って馬や人力で石油を運搬していたということです。当時、石油は貴重で、コメの4倍の価値があり、ランプの燃料や、保湿効果として風呂に入れたり、皮膚病の薬としても使われていたそうです。

油田発掘場所(石碑)

油田発掘場所に立つ石碑

<坊ヶ池>

清里区を代表する観光スポット「坊ヶ池」。ここは、新潟県の中で、深水が最も深い自然湧水湖です。最大水深が33メートル、水量が210万トン。龍神伝説でも知られています。

坊ヶ池

坊ヶ池

龍神伝説は、坊ヶ池のふもとの青柳という集落から毎日毎日釣りに通っていた少年がいつの間にか、この池に住み着く竜神の子どもになってしまい、帰って来なくなったという言い伝えで、以来、村人たちはこの池を少年の名前、坊太郎にちなんで、坊ヶ池と呼ぶようになったということです。枯れることなく湧き続けている水は、農業用水をはじめ、私たちの生活用水として役立てられています。

このほか、番組では上杉謙信の居城(春日山城)の支城として、信州からの守りの要として役割りを果たしていた京ヶ岳城跡などを紹介しています。ぜひご覧ください。

※JCV生活情報番組「すまいるone」で放送_初回4月5日(日)~
※上越妙高タウン情報のプレミアム会員でもご覧いただけます

 

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